俺とお前とルックマン(2024年のはじまり)

2024年がはじまってしまった。
前回の記事から1年放置したことになる。

3年前の自分は今頃、博士号申請論文を提出し、審査を待っていると考えていたはずだ。
しかし、現状は論文ゼロである。
霧矢あおい氏にあわせる顔がない。

さらに指導教官が体調を崩され、来年度も休職される予定だ。
定年まで1年なのでこのまま退職である。

自分は渋谷の丘を浮遊する大学院生となった。

 

さて、今年の目標であるが、立てる必要があるのだろうか?
「まずは論文一本」みたいに立てたとして取り掛かる事ができる気がしない。

ここまで来ると「単位取得退学」を選択したほうがマシなのでは、となるが、
論文が一本でもないとそれもままならない。
この状況下で、大学院にいる必要があるのか?

自分の場合「大学院生」という肩書がなくなった途端に、職場いる意味、モチベ、その他諸々がすべて無くなってしまう気がする。
それは避けたいのである。

かといって、このまま3年間の延長期間を無為に過ごすのは如何なものか

そもそも、論文を書き上げる段階において、土台となるものが皆無なので観察日記みたいな稚拙な文章ができあがるのである。
自分には宗教学や宗教社会学の知識がなさすぎる。

というわけで手に取ったのが『見えない宗教ー現代宗教社会学入門』である。
読んでいないわけではなく、第一章の執筆当時の宗教社会学をボロクソに叩く部分は、4年前くらいに北千住のサンマルクカフェでニヤニヤしながら読んだ記憶がある。

ただ、いざ聞かれると説明できないのである。
自分の中で、刺さった本はこの『見えない宗教ー現代宗教社会学入門』と今井信治『オタク文化と宗教の臨界』であるが、いずれも「おもしろかった」みたいな感想しか出てこない。

研究に活かせていないのである。
もう少し精読すべきである。

大学院の先生方からは院生による自主読書会を開けと散々言われているが、
実現できていないので本年は『見えない宗教』を題材に何かできないだろうか?

 

という訳で、今年の目標はかなり低く「本を読む」である。
流し読みではなく、しっかりと論文に活かせるように……

こんな目標、本来は修士1年の前期くらいの目標だ(院を目指す学部生の目標の方が近いかもしれない)。
同時に書かないとどうしようもないので、なんとかしたいところである。

置物氏の彷徨は続く

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