研究の終わり

自分の研究生活が終わりかもしれない。

そもそも始まっていなかったのかもしれない。

博士後期課程という肩書きのみ変わっただけで前期のころから1ミリも進んでいない。

 

4年前から研究のフレームワークを見つけるように言われていたのにできなかった。

そして、自分と研究テーマが丸被りの院生がおり、その人のほうが進んでいるのだ、

一昨年ぐらいから手遅れだとは気がついていたが、院生の身分に固執しすぎた。

 

ここを見るのは研究テーマを知っている人しかいないと思うが、

賽銭や初穂を研究テーマにしている為、先日の学会発表後、賽銭箱を見たり、賽銭を入れる音を聞いたりすると、

惨憺たる発表がフラッシュバックして吐き気がする。

怒りに満ちた質問者の顔が脳裏に焼き付いている。

 

ここ2年くらいは文章がまともに頭に入ってきていない。

ゼミや講義での講読資料や論文を読むのもかなり苦労するし、まともに要約できない。

1行1行隠しながら頑張って読んでいるが、もうダメそう。

 

そもそも修士のころから宗教学の「し」の字も社会学の「し」の字も知識として持ち合わせていなかった時点で、すでに遅れをとっていた。

文章の書き方もいまだに曖昧だ、今書いている文章もまとまった文章じゃない。

 

どうしたものか

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